続 28歳プログラマの生きる道

1カ月ほど前に書いたブログの続きです。

28歳は男のターニングポイントだということを書いたかと思います。

そして、28歳と6カ月ターニングポイントが来ました!!

私、10月末をもちまして退職することとなりました。
月初の部会議で発表があったのと、先日送別会を行っていただいたんでオープンにしました。


11月からは次の会社で仕事が始まります。

転職ということに関しては実は2年ほど前からずっと考えていたことで、今年の春過ぎから行動に移しました。

たぶん転職するということに関しては、多くを語る機会がないと思うので、このブログにて少し書きたいと思います。


大学を卒業して約5年間プログラマとしてソフトウェア開発をしてきました。

その5年の中で、プログラマとしての転機が3回訪れました。
その内2回はほぼ同じ時期に訪れた3年目の秋です。

仕事が大変だった時期にソフトウェア開発が嫌になっていた時です。
その時に2つのことを知りました。

1つは「アジャイル
もう1つは「まつもとゆきひろさん」

です。


ソフトウェア開発をする思いや熱意とプログラミングをする楽しさや感動といったことを取り戻した出来事でした。

その頃から、ソフトウェアの「技術」と「現場」にこだわるようになりました。

たぶんこの出会いがなかったら、今の自分は絶対にいません。
ソフトウェアが嫌になって別の仕事をしているか、あきらめて馬車馬のように働いているかです。

3回目の転機は今年です。

これもある方との出会いでした。
転職のきっかけとなった出来事でした。

その方の話を聞いて、「技術」と「現場」だけでなく、ソフトウェアの業界や今後を見据えるようになりました。

この業界は多くの問題を抱えていて、それに対するベストな答えはまだ出せていない。
その答えを見つけ出さない限り、ソフトウェアに関わる人たちはHappyになれないのではないか?

納品したソフトウェアに不具合があり、ちゃんと動かなかったり、大量のデータを登録する必要があり、なかなか保守まで手が回らなく使い物にならなくなったりして困るユーザー

受注したはいいが、納期や品質に苦しみ、残業や休日出勤、徹夜といった技術とは関係ない体力勝負となり、現場の雰囲気がどんどん悪くなるチーム

そんな中この世に生を受けたプログラム
動かない理由をOSやミドルウェアプログラミング言語の責任にして、技術が批判される。

人月計算
納期不変
品質低下
残業万歳

これらを何とかするためには、現場の改善では弱く、経営からの改革が必要なのではないかと考えるようになりました。

そういったことから、転職に描いたこと「技術」と「現場」と「ビジョン」でした。

でも、何もわかっていない現場のプログラマ絵空事に聞こえる内容でもあります。

本当にそんなことができるのか?
ただの理想だろ?
大人がいうことじゃないだろ?

っていう批判が聞こえてくるでしょう。

はっきり言って、転職によってこれらが満たされるとは思っていません。
むしろ悪くなることもあります。
そして、いろいろな大事なものを捨てないといけない覚悟が入りました。

でも、それらを捨ててでも、手に入れたい、挑戦したいことなのです。

業界の下っ端で働いているプログラマがはるか彼方にかすんで見えるあるかどうかもわからない理想のソフトウェア開発を夢を見ています。


そんな社会人5年目の秋の夜長です。


プログラマとしての考え方を変えさせられるようなできごとが3度もおきたということは本当に幸せなことです。

そしてこういった出来事は誰にでも起こるチャンスがあるんです。

ただ、残念なことにそれらに気づかずに日常が過ぎてしまっている人も少なくないんじゃないでしょうか?

たぶん、そういったことが起きてもそれを受け入れるだけの器が自分に備わっていないとただの出来事として過ぎてしまうんじゃないのかなと思います。

自分には人に自慢できるような技術もなければ、経験もありません。
ただ1つあるとしたら、自分の弱さや出来なさを受け入れ現状に満足することなくいろいろなことを学び続けたということがあります。

そのおかげで「アジャイル」という単語が出てきても「ふ〜ん」って終わるんじゃなくて、踏み込んで勉強したりすることができました。

そして、いろんな世界を知ることができました。


そんなこんなで、2週間ぐらいで退職です。

自分が何をできるかわからないし、何もできないかもしれないけど、5年間働かせていただいた感謝を胸に残りの業務を行いましょうかね。